父親として、そばで見ていて思うこと
二人目が生まれてから、空気が少し変わりました
二人目が生まれる前、正直なところ私はこう思っていました。
一人目の育児を乗り越えたのだから、次は少し余裕が出るのではないか、と。
でも実際は、まったく違いました。
家の中はにぎやかになり、笑い声も増えました。
それなのに、妻の表情はどこか硬くなっていった気がします。
話を聞いていくうちに、よく出てくる言葉がありました。
「上の子に、申し訳ない」
二人育児が始まってから、妻はずっとその気持ちを抱えていました。
この話の背景には、一人育児の孤独と二人育児の違いがあります。
上の子に向けてしまう「ごめんね」の正体
下の子が泣けば、どうしてもそちらを優先しなければいけません。
授乳や寝かしつけの最中に、上の子から「遊んで」と声をかけられる。
そのたびに、妻は言います。
「ちょっと待っててね」
「今は静かにしてくれる?」
言葉だけを見れば、どれも間違ってはいないと思います。
でも、それを何度も繰り返すうちに、妻の中には罪悪感が積み重なっていきました。
私がそばで見ていてつらかったのは、
上の子がそれに反発せず、我慢してしまうことでした。
聞き分けがいい上の子ほど、親は苦しくなる
上の子は、泣きわめいたり怒ったりすることはありませんでした。
代わりに、自分の中で折り合いをつけるように、こんなことを言います。
「ママ、お出かけできないんだね。じゃあ今日はお家で遊ぶよ」
その姿を見たとき、妻は何も言えなくなっていました。
聞き分けがいいことは、本来なら嬉しいはずです。
でも二人育児では、その「分かってしまう力」が、親の胸を締めつけます。
甘えたい気持ちを押し込めているように見えてしまうからです。
父親として見ていて、
上の子が我慢しているように見える瞬間ほど、
どう声をかければいいのか分からなくなります。
ワンオペが続いて限界を感じる場面については、こちらでも触れています。
罪悪感は、親が真面目な証拠なのかもしれません
妻はよく、「私のせいで上の子の生活を変えてしまった」と言います。
でも私は、その言葉を聞くたびに思います。
それだけ、上の子のことをちゃんと見ているからこそ、
罪悪感を感じてしまうのではないかと。
二人育児では、どうしても平等にはできません。
同時に抱っこすることも、同時に話を聞くこともできない。
それでも、気にかけているからこそ、
「ごめんね」という気持ちが生まれるのだと思います。
父親としてできることは、意外と限られています
正直に言えば、父親である私にできることは多くありません。
妻の代わりにすべてを引き受けることはできない日もあります。
それでも、意識していることがあります。
一つは、妻の罪悪感を否定しないことです。
「考えすぎだよ」と言うのは簡単ですが、
それでは気持ちは軽くなりません。
もう一つは、短い時間でも上の子と向き合うことです。
五分でも十分でも、「今はあなたの時間だよ」と伝える。
その時間があるだけで、上の子の表情が少しやわらぐのを感じます。
二人育児で罪悪感を感じるのは、特別なことではありません
二人育児で、上の子に罪悪感を感じてしまう。
それは、決して珍しいことではないと思います。
むしろ、多くの家庭で起きていることなのではないでしょうか。
私たちも、いまだに正解は見つかっていません。
それでも、
罪悪感を抱えながらでも、
今日をなんとか終わらせる。
その積み重ねが、育児なのだと思うようになりました。
父親としてできるのは、
分かったつもりにならず、
そばで話を聞き続けること。
今はそれで十分なのかもしれません。


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