覚悟していたつもりでしたが、分かっていなかったこと
「経営者として働く以上、どうしてもワンオペになるよね。それは結婚前から覚悟していた?」
ある日、そんな問いを何気なく投げかけました。
確認のつもりだったのですが、妻は少し考えてから、静かに答えました。
「してたよ。つもりだった。でも、現実が見えてきたら、不安になった」
その言葉を聞いたとき、私はうまく返事ができませんでした。
覚悟という言葉は使っていましたが、当時の私は、あくまで頭の中で想像した育児しか見えていなかったのだと思います。
今振り返ると、あのときの曖昧さが、その後の育児で感じるすれ違いの始まりだったように感じています。
一人育児で妻が抱えていたのは、静かな孤独でした
一人目の育児が一番大変だった理由は何だったのか。
私はずっと、体力的な問題だと思っていました。
でも、妻の話を聞いて考えが変わりました。
妻がよく話してくれるのが、大宮駅で突然涙が止まらなくなった日のことです。
一歳の上の子を連れて、鉄道博物館へ行こうとしたとき、周りは家族連ればかりでした。
その光景を見た瞬間、理由も分からないまま涙が溢れてきたそうです。
疲れている。
イライラしている。
でも、泣いてはいけない。
そう思えば思うほど、孤独が強くなっていったと言います。
その話を聞いたとき、私は言葉が出ませんでした。
一人育児のつらさは、忙しさではなく、逃げ場のない静かな孤独だったのだと、ようやく気づいた瞬間でした。
二人育児で増えたのは、罪悪感という重さでした
二人目が生まれてから、家の中は一気ににぎやかになりました。
一人目のときのような静けさはなくなりましたが、決して楽になったわけではありません。
妻が口にするようになったのは、「罪悪感」という言葉でした。
下の子を寝かせたいのに、上の子が元気で眠れない。
授乳しなければいけないときに、「遊んで」と言われる。
そのたびに、「静かにして」と強い口調になってしまう。
すると上の子は泣くこともなく、
「ママ、お出かけできないんだね。じゃあ今日はお家で遊ぶよ」
と、自分なりに納得しようとします。
その姿を見るのが、何よりつらいと妻は言っていました。
聞き分けがいいことが、こんなにも胸に残るものになるとは、私自身も想像していませんでした。
二人育児が始まってから、上の子に対する罪悪感については、別の記事で詳しく書いています。
救われていたのは、もしかすると私のほうでした
ある日、上の子が下の子を見て言いました。
「可愛い弟だね」
その言葉を聞いたとき、私ははっとしました。
妻はずっと、「弟が生まれたせいで、上の子の生活を変えてしまった」と自分を責めていました。
だからこそ、その一言に何度も救われていたのだと思います。
同時に、私自身も救われていました。
一人育児の頃、妻は本当に一人でした。
でも二人育児になって、家の中には会話が生まれました。
相手が二歳の子どもであっても、話し相手がいるだけで、孤独の感じ方は変わります。
その変化を、私はすぐそばで見ていました。
ワンオペを続けるために、割り切ったこと
二人育児が楽だとは思っていません。
だからこそ、私たちはいくつかのことを割り切るようになりました。
一つは、妻が自分を甘やかすことを肯定することです。
子どもが昼寝をしたら、好きなスイーツを食べる。
以前の私なら、少し気になったかもしれませんが、今は違います。
それは、ワンオペを続けるために必要な時間なのだと思うようになりました。
もう一つは、時間を区切ることです。
五分でも十分でも、「今はあなただけの時間だよ」と上の子と向き合う。
その短い時間が、子どもの表情をやわらかくし、妻の気持ちも落ち着かせてくれます。
ワンオペ育児が限界だと感じたときに、父親として見直したことについてもまとめています。
どちらが楽かは、決めなくていいと思っています
一人育児の孤独と、二人育児の罪悪感。
正直、どちらが楽かと聞かれても、私には答えが出ません。
今も、育児を楽しめない日があります。
それでも、いつか二人が手をつないで歩く姿を思い浮かべながら、
今日は最低限のことができれば十分だと考えるようにしています。
父親としてできることは多くありません。
ただ、分かったふりをしないこと。
そして、隣で話を聞き続けること。
それだけは、これからも大切にしていきたいと思っています。
答えが出ないままでも、育児は続いていく。
たぶん、それでいいのだと思います。

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